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語学力・会計の知識・IT能力
ってのは大前研一がいってるところだけど。
何がしたいかによる
農業やりたいのに語学力は必要ないし
複雑化してきてるこの時代に必要なのは、自分に何が必要なのかを見極める能力、だろ
インターネットテクニックだろ
礼儀、作法
昔でいう剣術とか書道とかそういうもんか?
教養って他人に自分を偉く見せるための飾りじゃないの
教養って言葉の定義にもよると思うけど
ちょっと昔だったら、例えば英検とかになんのかな??
もっと昔だったら漢文とか
もちろんそこで勉強したことを直接ほかの事に役に立てる機会なんかなくて
頭を使うトレーニングと
一定以上のレベルには達してることを証明する
つまり足きりに使われてたものだと思うんだよね。
大前研一は、
その足きりにあう側にならないように
海外のYouTubeを見て(ここで英語が必要)世界で何が起こってるのかを
時間差なしに理解することが必要云々言ってるんだけど
それは必ずしも普遍的なものではないんじゃないかと思うんだな。
商社とか製造業とかの人には当てはまるんだろうけど
さてここで
改めて聞きたい。
現代の教養って何だと思う?
教養がどうとかあんまり考えたりしないかな?
あんま考えんなぁw
中学高校ぐらいまでの知識と
いくつかの分野の専門的な知識と
時事ネタの情報と
人を不快にしないマナーと心使い
ぐらいがあれば教養あるんじゃ無いかと今考えた
現代はグローバル化の時代と言われとるわな。
そこで外国人との交流に関して考える必要があると思う。
語学力は必要だが、肝心の話すことがないとどうしようもない。
そこで、自国の歴史、文化に関する知識、外国の文化を理解する能力を教養としてあげてみるぜ
じゃあ俺は論理的思考力ちゃん!
>>21
最近はそればっかりもてはやされてる気がするんだが
そもそも、論理的思考に行き着く為の何かが教養なんじゃね?
よって、広義的に読書が鉄板ではなかろうか
大前研一は俺のなかでは「いいかげんな言論人」ベスト10に入ってる
マナー
コミュニケーション能力
ファッションセンス
>>24
これだな
冗談抜きで>>24があれば勝ち組になれる
論理的思考が流行るのは社会のネオリベ化と密接に繋がってる。
「なんにでも解決策がある」と思い込む。脳科学の流行もそうだ。
「私は記憶を書き換えることでどんなビジネスも可能にする」というわけ。
論理的思考を研ぎ澄ます脳科学的な本がビジネスマン界隈に売れるのはこのためだ。
俺は「私には不可能がない」とかいう奢り高ぶった論理的思考能力よりも、無知蒙昧能力のほうがまだ好きだ。
教養って一定以上の教育受けたものが受けてないものと差別化するためにできたようなものじゃないの?
なんか階級社会を連想するんだけど要するに典型的なシンボルだよな?
いかにも高卒の発想だけど
>>27
高卒でも中卒でも教養のある人っていそうだけどな
得ようとするかしないかの違いじゃないか
>>29
教養のある人は高卒で満足しなさそうだが
>>30
それは教養というよりプライドかな
俺は教養だけでは駄目だと思ってる。
ソクラテスの時代を思い出すべきだが、彼が勝負を挑んだソフィストたちは、みんな今でいう文化人たちだ。
なんでソクラテスがこのソフィストにムカついたのか。
教養だけがあって「徳」がなかったからだ。
だからソクラテスは徳を「無知の知」として、教養とセットになるように定義しなければならなかった。
俺は今でもソクラテスは正しいと思ってる。人間には曖昧さが必要なんだ。
曖昧さを除いた教養は、ただ社会に流されるだけだ。
それはいまの脳科学であり、語学であり、コミュニケーションだ。みんな資本主義を加速させてる。
この点では、ソフィストの教養と同じ在り方をしているんだ。
教養だけでは不十分で、「私は本当は何も知りません」という謙虚な曖昧さが必要だ。
いくら知識教養があっても経験が無いとそれらを生かせない
理解して使いこなせないものはただの知識
教養のある人は知的なジョークに長けてるイメージがある
マナー
コミュニケーション
ファッション
実際これあれば現代では余裕でいきぬける
>>33
コミュニケーションに教養が乗っかってないとその人の社会的ポジションは変わってきそう
教養って誰とでも会話ができるようになるための下地だから
高卒程度の知識を指すんじゃないかと思う。
いや知識と教養は区別される
高卒程度とかそういう話じゃない
>>37
知識は教養の基礎を構成してると思うんだけど?
その通り。
俺が間違っていた。
教養って言葉は何て説明すればいいのか思いつかん
コミュニケーションの素地ってのもなんかしっくり来ない気がしてきた
辞書によると
一定の文化理想を体得し、
それによって個人が身につけた創造的な理解力や知識
だってさ
教養の無い俺には難しい・・・
この文化理想ってのは時代や場所によって
コロコロ変わるから
少なくともそれに柔軟に対応できない人は
教養ある人とは言えないな
高学歴でもたまに実学至上主義で教養を軽視する人いるよね
>>44
日本の経済学者なんて大抵そうなんじゃないの
偏見だけど
>>44
実学あるならいいんじゃない
実学主義である事と教養を軽視するのは関係無いんじゃないの
高度な知識を動員して平和に暮らす能力
教養って言葉の意味を勘違いしてるんだろ
お前らもさすがに古今集の仮名序くらいは暗記してるよな
>>53
↑
こういう発言って教養無く見えるんだがどうなんだろう
ごめん。スレ大事にしたいんだ。
>>53,55みたいなのはやめてほしい。
このスレ大事にしたいwwwwワロタwwwwwwwwww名言だろwwwwww
とりあえず現代の教養とはって考えるなら
まず現代の日本の文化理想ってのを明確にしなきゃ
話が進まないだろ
大前とか苫米地とか佐藤とか池田の言ってることを簡単に信用してる奴は情弱
大量の情報のインプットと
質の高いアウトプット、って奴じゃね
あとペダンティックじゃないこと
ペダンチックこそ教養だろ
>>70
ペダンティックじゃないのは難しすぎ
教養って言葉を、足きり・差別化のツールとして使うんだったら
(知識をもとにどういう判断をするかはともかく)
知ってる人同士では共感できるほうがいいわけだよね。
そういった知識を吸収するために
新聞以上のツールってあるのかなと思って。
日本では、ネットはそういう方向には進んでいってるのかな?
生きていくために、持っていたほうが望ましいスキルっていうんだったら
それこそいろんな解答があるんだと思う
コミュニケーションだってそうだろうね
>>80
新聞は全体に目を通すのが普通だけどネットではどうしても自己選択的になる
人間自分の偏見を裏打ちする情報を望んでいるから
自分の偏見や無知を勘定に入れて物事を考えられる人間はネット社会で増加するような気はしないな
「教養」は礼儀作法や文化関係の知識・能力、語学で
「現代の教養」は専門的な知識又は技術だと「一般教養」の本に書いてあったよw
教養の原点―それは、モラルにあり。
いかに幅広い知識や経験を身につけていても、人間としての「慎み」が欠けていては、真の意味での教養人ではないのです。
ヨーロッパで生まれた教養教育がやがて日本に伝わり、大正教養主義や戦後民主主義教育によって移り変わってゆく過程をたどりながら、
失われた「教養」の本質を再確認させてくれる、日本人必読の書。
最低限の礼儀と道徳が備わってることだな
年上に敬語(これは例外あるかも知れんが)とか
ぽい捨てしないとか
ためらいなく席を譲れるとか
それが身に付くまでの過程もあるし
>>85
それは常識じゃないの?
とりあえずお前ら「あらためて教養とは」と言う本を読んでみろよ
青空文庫に行って学問のすゝめ読もうぜ
わかんないことがあったら昔の偉い人に訊くのが一番だ
教養って勉強のことじゃないよね
ゴミをゴミ箱に捨てる、これが教養
もっと見る >>
WW2以降の中央・東南アジアを巡るごたごた、新教養主義宣言、
こいつらをつまみ食いするくらいでいいんじゃないの。
どんなジャンルの話し振られても、一定の情報量で返せる土台が作ってある、って感じ。
だから昔みたいに「コレとコレとコレを押さえておけばOK」だったときに比べて、ジャンルが広がりすぎてる。
物理的に全てを知っとくのは不可能だから、足りない部分は「無知の知」を使うって感じかな。
「コレ知らないんだけどどうなの?」みたいなことが言えるコミュニケーション能力。
探究心を満足させるため…自己満足でしかないけど。
でも自己が満足しないと、生きてて楽しくないと思うし。
そのためには常識だとか知識とかモラルマナー情報が必要なわけで
ビジネススキルとかは、教養とは違う気がする。
どちらかと言うと、人としての深みとか人生の豊かさにつながるようなのが、教養じゃないのか。
そういう意味では、教養として欲しいのは、やはり歴史、文学、哲学、宗教だろう。
そこまで詳しくなる必要も無いが、これらの知識や理解が少しでもあると、人生だいぶ違ってくる。
会話や所作にも、何も知らない奴とは明らかな違いが出てくる。
大前の言うようなのは単なる実学であって、ビジネスマンには必須だろうが教養とは呼ばないと思うぞ。
外国人のビジネスパートナーに、日本の歴史や文化を、自分の言葉で紹介できるか?
それこそ教養だ。
これには俺も同意した
結果、「自分の知りたいこと」以外にも理解を示す態度が出てくるようになり、
人はその人を「教養がある」と言って尊敬して集まってくるんじゃないかな。
>>16195の言葉のように、人を見下す言動の中には理解が無いから、教養が無い=理解力が無いと思うんだろうね。
ちなみに批判はまた別の話だけど。
いわゆる教養人は、知識をひけらかさず、知らないことは知らないと素直に認める(知ったかぶりをしない)。
誰からでも何かしら学べることを知っていて謙虚であり、決して他人を見下したり誹謗中傷したりしない。
学歴や社会的地位などの権威をかさにして、えばったりしない。
これはいつの時代にも言える。
それが身についている人は必要以上に防衛本能を働かせずにリラックスして生活しているように思う
キリスト教圏とイスラム教圏と日本での、それぞれの教養が同じとは思えない。
正直、さらに言えば、職業・階層に依存するんじゃないか。
自分が何かを知っているのを良いことに
それをあたかも社会の常識であるかのように語る
他人に対して教養を強いる奴は信用しないほうがいい
論理的に会話できるだけの知識。
あとは新聞に最近の新聞にあったニュース。
インターネットが、普及して情報が溢れているから単純な知識より、うまく意思疎通するための教育のほうが教養って感じがする。
知らない話を教えられてもその場でしっかり理解できて、自分の考えを論理的に説明出来る奴をみるとすごいなと思う。
こんな
俺の家は厳しくてゲームは中学からだったし、ネットなんて社会人になってからだった。
それでも一応生きてけてるぞ。
民主主義から降りる自由はない、辺りを出発点にすると
その逆を考えたりもできるしね。
後者2つは「空気読みによる相互監視、および(不毛&原始的&確実な)社会安定の技術」としてまとめられます。
山本七平の有名なまとめ本とかつまみ食いするといいと思う。
現代の教養となるとやっぱり英語とかパソコン関係とか経済学かなあ?
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一般常識は既に時代に流されている
路上や人前で電話するなど本来非常識